和楽茶会について

ごあいさつ

少林寺の書院に”和楽”と書かれた大きな扁額がございます。これは剣禅一味の豪傑で知られる物外和尚が、竹刀の先に墨を付け書かれたものだそうです。この扁額に因み、また、さまざまな流儀の人が寄って楽しむということに掛けて”和楽会”と命名しました。
皆様には、流派を問わずご参加いただき、三猿斎ゆかりの少林寺に於いて楽しいひと時をお過ごし頂きたいと存じます。

拝具

和楽会会長 河田隆介

和楽会ロゴ画像

和楽会とは

和楽会画像

茶の文化と先人の数寄者の遺徳を広く語り継ぐため、茶会を企画運営をしています。少林寺の茶庭、三猿堂(三猿斎の坐像が奉られている茶室)の修復をいたしております。和楽会主催により、年に一度少林寺に於いて和楽茶会を開催いたします。境内にある三猿堂(二畳台目)は、この茶会の時に使用させて頂いてます。

和楽会の歩み

平成17年2月17日 和楽茶会
濃茶席 河田狸庵(裏千家)
薄茶席 日笠智恵子(速水流) 
    修復箇所 三猿堂シロアリ駆除
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平成18年6月25日 和楽茶会
濃茶席 岡本一真(藪内流)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    修復箇所 畳替え
寄付で御白湯をお召上がり待合への画像 寄付で御白湯をお召上がり待合へ
平成19年3月25日 和楽茶会
濃茶席 河田狸庵(裏千家)
薄茶席 佐藤絹美(表千家)
    修復箇所 三猿堂仮設三畳増築
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平成20年2月2日 和楽茶会
濃茶席 筒井絋一(今日庵文庫長)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    修復箇所 三猿堂土壁修理
炭道具の説明をお聞きになられるお客様の画像 炭道具の説明をお聞きになられるお客様
平成21年5月23日、24日 和楽茶会
濃茶席 河田狸庵(裏千家)
薄茶席 山崎文隆(表千家)
    修復箇所 庭、白砂敷詰
和楽会で敷詰た白砂に御住職自ら筋をの画像 和楽会で敷詰た白砂に御住職自ら筋を
平成22年11月6日、7日 和楽茶会
濃茶席 枡本睦子(裏千家)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    三猿堂大修理奉賛
口切後 拝見に出される葉茶壷 の画像 口切後 拝見に出される葉茶壷 
平成23年2月19日、20日 和楽茶会
濃茶席 河田狸庵(裏千家)
薄茶席 荒木雷太(裏千家)
    三猿堂大修理奉賛
広間での薄茶席風景の画像 広間での薄茶席風景
平成24年3月3日、4日 和楽茶会
濃茶席 日笠智恵子(速水流)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    三猿堂大修理奉賛
三猿堂での濃茶風景の画像 三猿堂での濃茶風景
平成25年10月25日、26日 和楽茶会
濃茶席 河田狸庵(裏千家)
薄茶席 山西昭義(藪内流)
    三猿堂大修理奉賛
展観席で井上氏より虫明の時代別陶片解説の画像 展観席で井上氏より虫明の時代別陶片解説
平成26年11月7日、8日 和楽茶会
濃茶席 滌源居 速水宗樂(速水流家元)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    三猿堂大修理奉賛
滌源居名物の数々でお席を持って下さった速水流家元と若宗匠の画像 滌源居名物の数々でお席を持って下さった速水流家元と若宗匠
平成27年5月22日、23日 和楽茶会
濃茶席 河田狸庵(裏千家)
薄茶席 石井淳一郎(表千家)
    三猿堂大修理奉賛
広間での薄茶席風景の画像 広間での薄茶席風景
平成28年11月26日、27日 和楽茶会
濃茶席 岡本征枝(藪内流)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    三猿堂大修理奉賛
の画像
平成29年12月9日、10日 和楽茶会
濃茶席 河田狸庵(裏千家)
薄茶席 栗原宗桃(遠州流)
    三猿堂大修理奉賛
小雨の中 路地笠をさし三猿堂への画像 小雨の中 路地笠をさし三猿堂へ
平成30年11月17日、18日 和楽茶会
濃茶席 岡本征枝(藪内流)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    三猿堂大修理奉賛
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令和元年9月28日、29日 和楽茶会
香席  蜂谷宗苾(志野流香道若宗匠)
薄茶席 河田狸庵(裏千家)
    三猿堂大修理奉賛
香席で名香を聞くの画像 香席で名香を聞く

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伊木長門忠澄
~若狭改め長門・隠居名三猿斎~

三猿斎は、文政元年(1818年)8月23日、佐伯に一万石の采地を領す池田家家老土倉市正一静の側室の三男として生まれる。
天保4年、16才で虫明に三万石を領す伊木家へ養子入りし、家督を相続してからは、備前国老主席として備前藩の興亡を一身ににない、尊王か佐幕かで揺れる藩論を統一し、騒然たる幕末に東奔西走の青、壮年期を過す。

若い頃より風流人で書画をよくし、虫明窯に清風与平や真葛香山などを招き指導をさせまた茶器を蒐集し茶事を楽しんだ。
黒船防備の折でさえ、茶道具を買い求めたり御陣屋で茶会を催したりと戦国武将のような風格を兼ね備えた大茶人であった。

茶の流儀は、はじめ速水流であったが、後に今日庵玄々斎宗室に傾倒す。

流儀を問わず各家元や茶人と交遊し、茶の湯文化に多大な貢献をして、数寄者の鏡として称されている。

元治2年(1865年)、48才のときに「見ざる、聞かざる、言わざる。」の庚申塚の三猿に因み自らを「三猿斎」と称してからは世俗から離れ茶の湯三昧の風流生活に余生を送った。

明治14年、「平素勤王の志厚く能く王事に鞅掌したる功」により、従六位に叙せられた。(明治43年、追贈従四位)

明治19年3月23日没 享年69才